商談の前夜、AIと予行演習をする話
こんにちは。速水拓真です。
第6回でリスト作りの仕組みの話を書きました。今回は、仕組みが作った商談に実際に出る側の話です。テーマは「前夜の15分」。商談の前夜、AIを相手に予行演習をする、という話を書きます。第3作『商談をAIに鍛えさせろ』の中身から、道具を1つ書き下ろします。
ある営業部長の言葉
2023年の初め、私が営業改革の伴走をしていた産業機械メーカーで、営業部長がこう漏らしたことがあります。
「正直に言って、Mさんが取るとは思っていませんでした」
約1,200万円の設備投資案件。競合2社を含む3社比較で、うち1社は業界の大手でした。受注したのは、入社3年目のMさんです。
Mさんがやったのは、特別なトーク術でも値引きでもありません。商談の3日前の夜、対話型AIに案件情報を入力して事前ブリーフィングを作らせたのです。相手企業の決算資料から設備投資の傾向を要約させ、想定される質問を5つ挙げさせ、回答のたたき台まで書かせました。所要15分。翌夜、その出力を5分かけて読み直し、使えそうな回答だけ自分の言葉に書き直しました。合計20分です。
そのプリントを持って臨んだ商談で、先方の生産管理部長が投げてきた質問は、5つ中4つまで事前に用意したものと一致しました。Mさんはそのすべてに、数字を出してその場で答えた。商談の最後に部長から出た言葉は「決裁のスケジュールを教えてもらえますか」でした。
一方、同じ部で商談歴がMさんの3倍ある先輩のTさんは、別の顧客で同規模の案件を落としました。Tさんは商談の30分前に相手のウェブサイトを流し読みし、当日は「御社の成長がすごいですね」程度の雑談で始めて、価格勝負に引き込まれた末に失注した。
この2人を見たとき、私は1つの仮説に落ち着きました。差は、トーク力でも経験年数でもない。「何を準備すべきかを知っていたか」と「準備の時間を物理的に作れたか」の2点だけです。
しかし、台本を読んだだけでは本番で使えない
この話には続きがあります。
この部の仕組みを作る中で、私は商談前の準備書をAIに作らせる型を整えました。準備書があれば、質問リストと応答のたたき台は出てきます。ところがしばらく運用して気づいたのです。台本を読んで「分かった」状態の営業は、本番で台本を活かせない。
読んだ言葉と、商談中に口から出る言葉は、別物だからです。
この差を埋める方法は1つしかありません。口に出し、相手の反応を受け、直す。予行演習です。
ところで、予行演習の必要性は誰もが知っています。それなのに、ほとんどの組織で実行されていません。理由は3つあると私は考えています。
相手役の時間を、練習のたびに押さえなければならない
同僚の前で自分のプレーを見られるのは恥ずかしい
実施できても1回が限度で、1回の練習は勘を慣らす程度の効果しかない
AIはこの3つの壁を全部壊します。夜22時、自分の机で、1円もかけず、何度でも。相手役がキレても翌日持ち越さない。ここが、商談でAIに任せられる最後の一片だと私は思っています。
顧客役を演じさせるとき、1つだけ指示を足す
顧客役をAIに演じさせるとき、1つだけ設計上の工夫が必要です。
AIは営業を助けたがる性質を持っています。放っておくと、客役なのに「いい提案ですね!」と褒め、途中でコーチ役に戻る。これを封じる指示を、最初に組み込むのです。実際に使っている形を書きます。
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あなたは、これから私が挑む商談の相手役を演じてください。
【役割】
・相手の会社:金属加工部品の製造業、年商80億円、従業員320名
・私の相手:経営企画室のA室長(52歳)。稟議の窓口で、価格に厳しい
・相手の状況:現行システムの保守契約が8ヶ月後に切れる
・競合:別社からも提案を受けている
・相手の口調:丁寧だが短文。雑談に付き合わない
【演じ方のルール】
私が「商談を始めます」と送るまで商談を始めないこと
設定にないその会社固有の事実を自分で作らないこと
私を助けないこと。私が詰まっても、顧客として沈黙するか
「いかがですか」と聞き返すこと。コーチには戻らないこと
私の1回の送信が300字を超えたら、顧客らしく遮ってよい
読んだら「準備できました。開始の合図を待ちます」とだけ返してください。
```
役割の5行は、自分の商談先に差し替えます。あとは「商談を始めます」と打って、自分の第一声を送るだけ。目安は10分、送信10〜15回です。1回の練習で送信が20回を超えるようなら、本番でも話が長すぎる合図だと教えてくれている、と考えてください。
途中で相手役が褒めてきたら「ルール3を守ってください」と1文送れば戻ります。
「本番前に3回」の理由
私が部で回しているのは、本番前夜の15分ルーティンです。
21:50 明日の商談先の情報を貼る(3分)
21:53 標準モードで1回練習。音声入力で声に出す(5分)
21:58 会話を振り返り、直すべき点を「1つだけ」決める(3分)
22:01 新しいチャットで、値切りか門前払いの難関設定でもう1回(4分)
計15分で、標準と難関の2回の予行演習が済みます。
「直すべき点」を1つに絞る理由は、1回の練習で直せるのは1点だからです。5箇所を同時に意識すると、全部が中途半端になります。
大きな商談なら「3回ルール」を推奨しています。1回目は台本を見ながら。2回目は難関設定で、1回目の指摘1点だけを直す。3回目は台本を閉じて、開始から着地まで通す。3回目の会話が台本を見ずに滑らかに回れば、台本が自分の言葉になっている証拠です。3回で合計30〜40分。本番1回に賭ける商談の準備時間として、高くはないと私は思います。
ここで、声を出す意味にも触れておきます。台本の文面をそのまま口にしようとすると、ほとんどの人は言えません。自然な自分の言葉に置き換える作業が必ず起きる。この置き換えは、頭の中では完結せず、口に出して初めて起きます。黙って打つだけの練習はタイピング練習であって、商談練習ではない。だからこの練習は、音声入力か、声に出しながら打つこと推奨で行います。
練習ゼロと、2回通した人との差
あるいは「AIの演じる顧客は本物ではない」という反論は、その通りだと思います。AIは設定にない反応を業界一般論として出すことがありますし、実在の相手が絶対に言わないことを言う場面に出会います。気づいたら「その発言は設定にないので、設定内の反応に戻してください」と1文送れば直るのですが、限界自体はあります。
それでもやる理由は単純です。本番は1回しかないからです。
練習ゼロで本番に入る営業と、標準と難関を2回以上通してから入る営業。後者の分が有利なのは、自明です。冒頭のMさんとTさんの差も、結局はここに帰着します。Mさんは商談の3日前の夜に準備をしていた。Tさんは商談の30分前に流し読みをした。同じ20分か15分の時間でも、「何を準備すべきかを知っていたか」が違った。
台本は、作っただけでは仮説です。練習を通って初めて武器になります。
もう1つ、正直に書いておくと、AIの演じる顧客の精度は、貼った顧客情報の密度で決まります。【役割】に3行しか書かなければ、3行分の厚みの相手としか練習できない。3行の情報で続ける練習は、存在しない顧客と話しているのと同じです。前回の商談の結末・相手の口調・現場の切実な事情を、もう2行足す。その厚みが、練習の質になります。
失敗談: 最初に作った顧客役は、優しすぎた
最後に失敗談を書きます。
この仕組みを最初に作ったとき、私の顧客役は優しすぎました。商談を始めると「それは素晴らしい視点ですね」と褒め、「私からも1つアドバイスさせてください」と講評が始まる。練習になるのは最初の2分だけです。AIはもともと、人を助けるために作られているので、これは当然の挙動でした。
直すために足したのが「私を助けないこと」の1行と、価格を聞いたら「これ、30%は下がらないと話にならないですね」と要求する難関モードです。すると途端に、練習らしくなりました。私が値段の話を煙に巻こうとすると、客役は「うちは予算が決まっていますので」と戻してくる。前もって用意していないと、ここで動揺します。動揺した、という記録そのものが、翌日の本番で使う情報になりました。
「AIは営業をなくしません。準備時間をなくします」と、このnoteで書いてきた線引きを、商談の練習にもそのまま当てはめることができます。準備と予行演習は機械に渡す。本番で、相手の沈黙をどう読むかは、人間のままです。
書籍『商談をAIに鍛えさせろ』では、この予行演習を含む商談の全工程の道具を通しで解説しています。事前準備のブリーフから、冒頭の一分、値段の台本、断られたあとのフォローまで。
商談をAIに鍛えさせろ — 事前準備から断られフォローまで、商談の全工程をAIで強くする(Amazon)
書籍の詳細と読者特典はこちらのサイトにまとめています。
それでは、また。